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世田谷ネット
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とある企業で世田谷ネットを運営する小林丈太郎は、「自分のことをインターネットで時計を売っています」などと自己紹介する。実際、世田谷ネットには時計を売るコーナーがある。後に彼は、『ぶりっじ世田谷』というイベントを通 して、まちづくり的な活動に関わることになるのであるが、はじめてまちづくりという言葉を聞いたときには、「なんてダサイ言葉なんだろう」と思ったという。 世田谷ネットは、一営利企業の持つサイトにすぎない。まちづくりや市民活動という言葉とは無縁の存在であるし、本人もまちづくりだとは思っていない。だが、世田谷ネットの活動は、どこまでもまちづくり的であるし、インターネットとまちづくりが結びついた成功例なのである。 (2)人との出逢いから始まるネットワーク:世田谷ネット1996年 そもそも世田谷ネットとは何か? 小林は世田谷ネットの始まりをこう語っている。 「きっかけは世田谷上馬にある(株)キャラバンという中小企業。ここ社長が変わってて、ベンチャーインターンと称して、社員でもアルバイトでもない学生に会社で遊んでいるパソコンを貸してくれたり、色々教えてくれたりする。ここの社長から『setagayanetというインターネットのドメイン名を取ったんだけど、お前、なんか作ってみないか?』と言われ、まあ大学もつまんないからやってみるか、と中途半端に思ってはじめた。なんの手がかりもなく、パソコンとsetagayanetというドメイン名。今考えるとすごく漠然と世田谷に街を歩きはじめた」
「色々な商店を廻り、商店主と話すうちに一つの商店街の中にも様々が壁があることに気付いた。世代間の壁、業種の壁、派閥の壁、また中にはマック派とウィンドウズ派の壁なんてのもあった。これは立上げ当初から手強い相手と出会ってしまったな、と思いつつ、悩んでいてもしょうがないので取材を重ねてホームページを作っていった」 ちなみにこの時点で彼のパソコンに関するスキルはほとんどなかったという。それまではファミコンくらいしかやった事のないド素人が見よう見まねで作ったホームページが、世田谷ネットの最初のコンテンツである『駒沢のホームページ』である。 (3)世田谷ボランティア協会との出会い その後も、小林は積極的に世田谷の取材を続け、世田谷ボランティア協会に行き着く。ボランティアに興味があってのことではない。効率よく世田谷の情報が集まりそうなところを探しているうちに、千歳船橋にある世田谷ボランティア協会に行き着いたのだという。ここはボランティアセンターという名前で、民間のボランティア活動推進を行っている。 「当時はボランティアなんて言っても、全然ピンと来ないし嫌いな言葉だった。半分まゆつばもんで行ってみるとここが面 白い! 職員もみんな気さくだし、建物も堅苦しくなくてオープンだし、何よりもここに集まってくる人のやってることが面 白かった。ここの施設は生活の中で生まれてくるニーズとシーズを結び付けて一つの流れをつくるコーディネートの役割を地域に密着した形で実現している、世田谷ネットの一つの理想形に気付いた」 以降、世田谷ボランティア協会に関係する市民活動団体のウェブづくりに片っ端から関わることになる。子供のための遊び場を提供している「プレーパーク」、子供の叫びに応えるネットワークを作ってる「世田谷こどもいのちのネットワーク」。平成11年度の通 信白書で紹介されることになる「コンピューターおばあちゃんの会」も、そうした活動の中から出来上がったサイトのひとつである。
『コンピューターおばあちゃんの会』は、今では会員数300人を超える大きな団体だ。だが、立上げ当初はもちろんそんな事はなく、世田谷在住の大川さんというおばあちゃんがお年寄りでも分かりやすいお年寄りのためのパソコン教室をつくりたい、ということで世田谷ボランティアセンターを訪れたのがきっかけで始まった。これに対応したのが職員の杉本さん。彼は施設内で唯一パソコンの知識がある、ということで対応したらしいのだが、施設内にはパソコン教室をやるためのパソコンもないし、インターネットにアクセスするための回線もない。行政に掛け合ってもそんなニーズに応えられる公共の施設はなかった。 (株)キャラバンでパソコンと回線が遊んでる日曜日を会のために貸してくれたことで、コンピューターおばあちゃんの会は実質的なスタートを切った訳だが、スタート直後から入会希望の問い合わせが、世田谷区内はもちろん、日本中から入会希望者が集まってきたという。お年寄りにどれだけニーズがあっても、それを満たす受け皿がなかったことの証明であった。 お年寄りとインターネット、当初は物珍しく変な取り合わせに思われたが、実態は逆で、お年寄りこそインターネットの恩恵を一番受けられる人達なのである。こんな例がある。コンピューターおばあちゃんの会でメールを使った囲碁を始めたところ、みんな面 白がり1日中メールを使った囲碁の対局をしていた。その相手を囲碁好きの若いサポーターが一人でやっていたが、初心者であるはずのおばあちゃんがある日突然強くなってどうやっても勝てなくなった。よくよく聞いてみるとその日から囲碁の相手をしていたのは、そのおばあちゃんではなく囲碁歴ウン十年という彼女の旦那さんだったそうだ。しかもその旦那さんは家で寝たきりの日が続いていたそうで、奥さんが毎日面 白そうに囲碁をやっているのを見て、自分もやりたくなり、ついには寝たきり状態を解消されてしまったという。 メールを使った会話をキッカケに外出が多くなったり、またおしゃれを始めるようになって若返ったりと、おばあちゃんの会にはそんな逸話がいくつも残っている。家に閉じこもりがちのお年寄りにとってインターネットは、若者に対する以上の「出会い」から生まれる恩恵を与えているのである。
「空缶から生まれた時計:ReWATCH」は、最初に述べた時計のインターネット通 販である。ただし、彼にとっては、これまでの活動も時計の販売も大差はない。小林は「ReWATCHサイト」はReWATCHに関するオンラインコミュニティなのだという。その成果 は、月平均売上個数40〜50個、27000ヒット/月平均に達している。ReWATCHは、通 常の量販店でも販売しているのでるが、「ReWATCHサイト」が売り上げトップになっている。 ReWATCHは、時計の各部にリサイクル部品を使っている。これを「時計」という機能だけを販売しても他に人目を引く商品はたくさんある。現実の中では「時計コーナー」に「時計」という切り口でしか顧客に見せることしかできない。「環境」「リサイクル」といった切り口にしても同様である。 「ReWATCHサイト」では、こういった機能や目的に分節化せずにReWATCHなるものとして扱っている。それには説明が必要なのだが、ネット上では顧客と思い入れのある販売者がダイレクトにつながることができ、しかも、それはオープンなコミュニケーションの場で行われる。 小林は、こんなことを言っている。 「実はこんなことは日本の小売店が長年やってきたこと。物やサービスは、もともと一つ一つ、人の手から手へとていねいに流通 していたはず。ここで交換されていたのは、実は、物やサービスに仮託された情報と真心だったのではないか。インターネットに代表されるデジタルコミュニケーションは、送り手と受け手を地球規模で一人一人直接に結び付けることを可能にした。インターネット上のコミュニティでは物やサービスに付随している情報の交換を通 して、人の心と心が結ばれていく。世田谷ネット自体は非営利だが、経済にとってネットワークは実体的な価値。ネットワークは一方通 行の意思ではつくれない、それは企業だろうとボランティアだろうと同じ。自分が使ったものを他の人に自由に使ってもらう。そのかわり困っているときは互いに助け合う」 ここで行っていることは、それまでの世田谷ネットのやり方そのままである。 日本では、大企業が手がけるインターネットモールはどこも苦戦している。このような」現実が「インターネットは儲からない」という風評のもとになっているのだが、実際は、インターネットが駄 目なのではなく、インターネットの特徴を無視した現実の店舗をウェブ上に移しただけの安易なオンラインショップがあまりにも多いのである。 ReWATCHは現実の世界でまったく売れない商品だったが、インターネットの特徴を活かし、顧客とのつながりを持てた事によって受け入れられた。 これは、たかだか一商品の物語ではあるが、時計という言葉を、市民参加あるいはまちづくりと読みかえることもできそうである。 |